言葉のサラダ

忘れがたい人、風景、出来事たちの話をします。

美しい人。

僕のことを孫のように思ってくれていたのだろう。
その人は僕が田舎で働いていた時に、担当したおばあさんだ。
大げさではなく命が関わるような問題がおばあさんにはあって、それを一緒に解決をした。
すっかり落ち着いた後も経過観察のために、月に一度くらい僕はおばあさんに会っていた。

田舎で農業をずっとしているおばあさん。
息子が今は継いでいて、おばあさんはのんびり自分の畑をやっている。
よく収穫した野菜を持ってきてくれたが、一人暮らしの僕には量が多すぎたので、職場の人と分け合った。
農作物を渡す時、おばあさんは「今年のは見た目が悪くて」とか恥ずかしそうにしながら、僕の体を気遣う言葉も一緒に添えてくれる事が多かった。
素朴な農家のおばあさん。
土とともに生き、その手で子供や野菜を育てている。

ある時、世間話の流れでおばあさんが読んだ本の話になった。
畑仕事の合間に読んでいるのだという。
どんな本を読んでいるんですか?
と僕が聞くと、おばあさんは農作物を渡す時のように少しはにかみながら、
大江健三郎の本なんです。
私にはよく分からないけど、とてもいいと思うんです。
と、答えた。

その瞬間、僕は強烈に恥ずかしくなった。
大江健三郎ノーベル賞をとってしばらく経った頃で、僕も何冊か彼の著作を手に取ったが、読了することは一冊もなかった。
分からなかったのだ。
おばあさんから大江健三郎という名が出てくるなんて思っておらず、言ってしまえばもっと大衆的な、分かりやすい本だと勝手に想定していた。
素朴で、土とともに生きるおばあさん。
すごいと思う反面、その知性を知らず知らずのうちに侮っていたことを、一瞬で理解させられた。

美しい人だと思った。
僕よりも、ずっと色々な喜びに触れ。
賢しい言葉を使うことなく、土や人や文学に触れている。