言葉のサラダ

忘れがたい人、風景、出来事たちの話をします。

美しい人。

僕のことを孫のように思ってくれていたのだろう。
その人は僕が田舎で働いていた時に、担当したおばあさんだ。
大げさではなく命が関わるような問題がおばあさんにはあって、それを一緒に解決をした。
すっかり落ち着いた後も経過観察のために、月に一度くらい僕はおばあさんに会っていた。

田舎で農業をずっとしているおばあさん。
息子が今は継いでいて、おばあさんはのんびり自分の畑をやっている。
よく収穫した野菜を持ってきてくれたが、一人暮らしの僕には量が多すぎたので、職場の人と分け合った。
農作物を渡す時、おばあさんは「今年のは見た目が悪くて」とか恥ずかしそうにしながら、僕の体を気遣う言葉も一緒に添えてくれる事が多かった。
素朴な農家のおばあさん。
土とともに生き、その手で子供や野菜を育てている。

ある時、世間話の流れでおばあさんが読んだ本の話になった。
畑仕事の合間に読んでいるのだという。
どんな本を読んでいるんですか?
と僕が聞くと、おばあさんは農作物を渡す時のように少しはにかみながら、
大江健三郎の本なんです。
私にはよく分からないけど、とてもいいと思うんです。
と、答えた。

その瞬間、僕は強烈に恥ずかしくなった。
大江健三郎ノーベル賞をとってしばらく経った頃で、僕も何冊か彼の著作を手に取ったが、読了することは一冊もなかった。
分からなかったのだ。
おばあさんから大江健三郎という名が出てくるなんて思っておらず、言ってしまえばもっと大衆的な、分かりやすい本だと勝手に想定していた。
素朴で、土とともに生きるおばあさん。
すごいと思う反面、その知性を知らず知らずのうちに侮っていたことを、一瞬で理解させられた。

美しい人だと思った。
僕よりも、ずっと色々な喜びに触れ。
賢しい言葉を使うことなく、土や人や文学に触れている。



おどる人。

もう大分前になくなったヤリ部屋で、その人と出会った。
まだゲイの人とあまり会ったことがなかった頃の話だ。
暗い部屋の中で、その人の輪郭はいやにくっきり見えたのを覚えている。
引き締まった体、鋭い目。無駄のない動作。
ネコ科のハンターみたいだ、と思った。
エッチをしても、その印象は変わらなかった。
しなやかで、強靭で、それでいて色っぽい。
後で聞いてみたら、その人もおれに同じような印象をもったらしい。
ただしおれは、ネコ科のハンター、ではなくて、狼とか犬っぽかったと言っていた。

その頃おれは学生だったけど、同い年の彼はすでに稼いでいた。
ダンスをやってるんだ、と言われて、とても納得した。
彼と抱き合っているときに、彼にとってはエッチとダンスは一緒なんだろうな、と何度か思った。
彼のおどりを何度か見に行った。
時々、エッチの時と同じ表情を見つけた。
それは演技ではなくて、どちらかというとその逆、溢れてしまう感情や保てない表情やそういったものだと思った。
そしてそれがとてもいいと思った。

彼に連れて行ってもらって、初めて2丁目に行った。
何も知らなかったおれに、彼はいろいろなことを教えてくれれる先生でもあった。
性的なことも含めて。
彼はスリムだけれど精悍で、着ているものも上質だった。
一方おれはいかにもダサい学生で、今だったらそれはあざといくらいの武器にもできるのだろうけれど、その頃は彼といると時々恥ずかしくなった。
2人で飲み屋に入ると、彼を見て、おれを見て、もう一度彼を見る誰かの視線。
釣り合っていないのはよく分かっていたけれど、その値踏みの視線にいつも少し凹まされた。
でも彼はとても優しい男で、おれに気を使ってくれて奥の席に移動したり、誰かから話しかけられても感じよく断ったりしてくれた。
それがとても嬉しかった。

でも、付き合っていたわけではない。
友達だった。
少し寂しかったけれど、なんとなくその時の距離感がいいと思ったし、それに名前をつけるとしたら友達なんだろうな、と思っていた。
恋人の劣化版としての友達ではない、友達。

彼とファミレスでよく食事をした。
時々テンションが上がってしまう彼は、機嫌がいいとファミレスでも踊ってしまう。
そういう時はちょっと恥ずかしくて少し離れたりしていたど、会計や廊下を歩く時に踊ってしまうのは、かっこいいとこっそり思っていた。

おれが働き始めたタイミングで彼も仕事が大変になり、時々メールのやりとりをするくらいになり、それもいつしか途絶えた。
数年前に、独立して事務所を構えたこと、近くに寄ったら遊びにきてねという言葉とともに、とうとうフィストができるようになったよと絵文字付きのメールが来たけれど、それが最後のメールになっている。
そっかー、フィストに行ったかーと笑った。
さすが先生、おれには追いつけないなあと思った。
フィストは興味ないけれど、彼が今はどんなおどりをしているのか、時々見たいと思う。



彼の部屋。

彼と会うときは、いつも彼の部屋だった。

あまり広くないその部屋は、彼が好きだというハワイの雰囲気がした。

そのハワイっぽい部屋で、いつも僕らは抱き合って、終わると色々と話をした。

屈託のない笑顔で、最初に会ったときから個人情報も何もかも開けっぴろげに。

 

だからいつも聞きそびれてしまう。

アプリには、彼氏がいる人はごめんなさいって書いてあって、ポジションはタチってなってるけど、彼氏持ちでタチのおれと会ってて、おれは君を傷つけてない?

それともそう思うことも、侮辱みたいなものなんだろうか?

 

そんな彼と会う約束をしていたある日、約束の時間近くに彼からメッセージが来た。

 

今日は体調が悪いからごめんなさい

数週間後に入院をするからその前に会いたかった

病気は悪性腫瘍の一種です

 

彼は詳しい病名を教えてくれた。

聞いたことがないその病名をネットで調べると、あまり良い情報は出てこない。

 

たまらない気持ちになる。

 

人からはセフレとか言われるだろう関係なふたりだけれど、おれは友達だと思っていて、彼もそう思ってくれているから、例えば病気の話もしてくれるんだろう。

彼も自分の病気のことは調べたに違いない。

そしてその闘病が厳しいものかもしれないことを知っていて、その不安も嫌というほど感じているはずだ。

彼の体に彼の命をも脅かしているかもしれない細胞が生まれ、存在していた時期に、僕は君を抱いていたはずだ。

友達でお互いの体はよく知っているけれど、でも、それ以外はよく知らないことに改めて気づく。

支えになれば、という気持ち自体、どこで使って良いのかも分からない。

 

入院は長くなりそう?

お見舞い、行ってもいい?

 

そう返すと、入院は長引きそうだということと、病院名を教えてくれた。

いつも通り、明るい感じで。

ちょうど彼のハワイっぽい部屋みたいな雰囲気で。

彼に会いに行こうと、ただ思った。

 

ある友達。

そいつとはじめて会ったのは、おれが不倫をしていた時だった。
つまみ食いじゃなくて、不倫。
その不倫相手と微妙にうまくいかなくなってきていて、でもまだ終わりになるのかならないのか分からなかった時期。
関西在住のそいつがたまたま都内に来ているとかで、不倫相手と遊んだ翌日、一人で泊まったホテルにそいつは来た。
当時流行っていたエロ系のSNSで知りあったので、当然、やる。

すごかった。
Mなんです、とは聞いていた。
でも、SMとはちょっと違う。
痛み、言葉責めとかそういう、ロールプレイングで感じてるんじゃなさそうだった。
sexに対する熱量みたいなもの。
その量が半端ではなく大きくて、どうしようもなく大きくて、そいつにとって一番いいsexが、相手に奉仕する事、それで喜ばせる事で、そこにかける情熱が切ないくらいだった。
いいsexだったと思う。
色々なsexの形があって、それぞれ好みも様々だ。
自分が好きなsexは、とにかくお互いがお互いで感じる事。
そこに真剣さがないと、全然燃えない。
おざなりだったり、自分だけ気持ち良くなるsexは面白くない。
圧倒したり、圧倒されたりする刹那に、どうしようもなく醸し出される表情が、エロいと思う。
そいつとのsexはそんな感じが満載で、お互い出し惜しみしない。

その時はやるだけだった。
その後、何回か会った。
やる事はやったが、終わった後に長々と話をしたり、飯を食いに行ったりした。
かなり博学、しかも高い知性に裏打ちされている話なのに、そこにいやらしさがみじんもない。
おれの周りによくいる自称インテリみたいな連中とは、言葉の使い方や会話の意味自体が大きく違う。
きっとそいつは、sexと同じように会話にも相手を知り、自分を知らせる為のもの、とシンプルに向かっているだと思う。
認めて欲しい気持ちはたくさんあるのに、それを駆け引きではもらえない事を知っているんだと思う。
色々な話をする。
男の話しもすれば、世情の話しもする。
正直、もうそいつとはsexしなくてもいいのかなと思う。
会えば、するんだろうけど。
本気でsexをしたり、話をしたりすると、その人の魂が見えるような気がする。
誤解だったり、願望だったりするのかもしれないけど、そう思う。
おれから見るそいつの魂の形は、とてもきれいで、だけど切ない。

切ないのは、例えばこういう話を聞いた時だった。
そいつが時々行く飲み屋で、顔はめちゃくちゃきれいなのに、身なりがみすぼらしい男がいた。
その男は、大学生の時に、「ご主人様」に出会った。
どこか外国の部族の通過儀礼だか、奴隷の儀式だかは忘れたが、そういうのを真似て、「ご主人様」に陰茎を長軸にそって切り開かれたらしい。
排尿も、射精も不可逆的に不自由になる。
大学もやめさせられ、ホームレス生活。「ご主人様」から連絡があれば駆けつける。金もその「ご主人様」がくれる。
都市伝説の類いかもしれないな、と思いながら話を聞いていた。
「おれはそこまではできないけど」というそいつの表情に、憧れと言ってもよさそうな、でも憧れという語感とは真逆の、暗い欲望が覗いていた。
切ないと感じるのは、そう言う時。

そいつが、最近、「ご主人様」ができたと嬉しそうに報告してくれた。
とてもとても嬉しそうだ。
あんまり嬉しそうなんで、おれまで嬉しくなった。
よかったなと思う。
陰茎を切り裂くような「ご主人様」ではないみたいだし。